御祭神

大日孁貴命(天照皇大御神)

(オオヒルメムチノミコト)

日本神話に登場する神。
皇室の祖神様で、別名「オホヒルメノムチ」といい「オホ」は尊称「ムチ」は「高貴な者」「ヒルメ」は「日の女神」を表します。

誉田別命(八幡神)

(ホムタワケノミコト)

応神天皇(おうじんてんのう、仲哀 天皇9年12月14日ー応神天皇41年2月15日)の別名誉田別尊の由来は天皇が生まれた時、その腕の肉が弓具の鞆(ほむた)のように盛り上がっていた事にあり、ほむたに譽田をあてたものだといい、また母の神功皇后の胎内にあったときから皇位に就く宿命にあり、「胎中天皇」とも称されました。

武甕槌命(鹿島ノ神)

(タケミカツチノミコト)

火神軻遇突智(カグツチ)の首を切り落とした際、実束剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」の根元についた血が岩に飛散して生まれた三神の一柱神で勝負事にまつわる「武徳の神」とされています。

由緒

当神社は延享三年(一七四六)八月信濃川に顕現した島嶼、長岡領附寄島の開拓の折開祖安倍玄的が開拓の安全と成功を祈願して官許を得て島中に延享四年(一七四七)四月二十六日一祠を祀り家数十五軒の玄的村を形成したことにはじまる。

当初伊勢皇大神宮を主祭神にお祀りした事から神社名を「附寄島大神宮」「附寄島神明宮」また、開拓者に因み「玄的のお宮」と通称された。

由緒 由緒 由緒 由緒

大河信濃川の中に点在した小島が寄り付いた所であり元来水損地で度重なる洪水や恙虫の害もあり開拓は困難を極めた。

寛延三年(一七五〇)初期の開拓終了、長岡藩主より社領を賜る。
天保の改革により弘化元年(一八四四)長岡藩から上知され幕府領(天領)となり新潟浜村ノ内流作場新田と改称された。
御社号も「流作場大神宮」「流作場神明宮」と呼称されていたが明治維新以後「三社神社」と改称されて現在に至る。

氏子地域は新潟駅、万代シテイ、万代島朱鷺メッセに至る。

御神徳

神社の創建の由縁が開拓者たちの安全と守護を祈念したものであっただけに、開拓や新しく産業を開発するときの守護神としてうやまわれ、特に新規に会社や店舗を開いたり、事業を起こすさい、当社に祈願すると成功に導かれるとあがめられている。

又、個人で祈念される方にとっては、新しく何か事を始める時、運が開ける事から立身出世、心願成就の神様としても崇敬が厚い。

御神徳 御神徳 御神徳 御神徳
無から、有をうみだす 無から、有をうみだす

御祭神

石宮大神

(イシミヤオオカミ)

由緒

古来流作場の里(現在の水島町)に流作場旧農家四十軒の人々等に依り勧請せられ、石宮様の称号にて敬われ親しまれて来たが、しかし時代の波と共に町の佇まいも大きく変わり、御祭祀もままならぬ様になり、ここ流作場の鎮守三社神社の境内の一隅を借地し昭和五十四年十二月に起工式を斎行し、翌年五月新社殿に遷宮し、石宮神社と称し天地自然、森羅万象の恵を司る神として敬われている。

新潟駅の並びの土地(現・石宮公園)より→三社神社境内地一角へ

石宮神社
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