江戸時代嘉永7年八月(1854)に新潟奉行所で建てた道標で、古くは船着き場であったと思われるホテル新潟の横手にあった。
「北国道」信濃川を渡り赤塚・弥彦と進み中仙道の追分、鳥居本まで新潟を含めて七四次、新潟から高田を経て善光寺まで二八次の旅程で有った。
「奥州道」現在のホテル新潟の前を、三社神社方向へ土手道をたどり、神社裏手の道路へ右折して中川堀沿いに本立寺方向へ進み、古信濃川を船で渡って沼垂稲荷町へ向かう。
沼垂より新発田(しばた)、赤谷、津川を経て会津へ至る。
また、沼垂から松が先、桃崎浜、乙、黒川、関、小国、米沢を経て上ノ山に至る。
さらに、秋田方面へも行く街道であった。
安倍邸に長く保存されていたが、平成八年神社御鎮座及び開村二五〇年を記念して、斎行された流作場二五〇年祭の後、平成十年境内に移設した。
新潟市にとっても貴重な文化遺産である。